『花暦』ダイジェスト 平成27年8月号
暦日抄 舘岡沙緻
智恵子生家
没落てふ二階座敷の梅雨障子
車椅子に病む身を置くや梅雨の蝶
城垣の大小梅雨を寄せつけず
ふたたびの光太郎山荘青葉闇
みちのくの旅の一日の梅雨の晴
涼風や杉の木立の直立す
香を焚き風鈴を吊り旅終る
ままならぬ起居病む身の梅雨湿る
〔Web版特別鑑賞〕今年は戦後70年。新聞をはじめ多くのメディアが特集企画を組んでいることからも分かるように、日本人にとっては一つの節目である。日頃、何気なく俳句作りをしていても、こうした歴史を抜きには語れない作品と出合うことがある。今月の暦日抄にもそんな句がある。
<ふたたびの光太郎山荘青葉闇>。詩人・高村光太郎は太平洋戦争も終わりに近い昭和20年5月、宮沢賢治の弟・清六を頼って岩手県花巻町(現在の花巻市)に疎開した。その家も空襲に遭い、転々とした末に終戦後の同年10月、花巻町郊外に粗末な小屋を建てて独居を始めた。光太郎62歳。戦時中、戦争への協力詩を作ったことへの自省の念からの隠遁生活で、ここでの暮らしは約7年間に及んだ。現在、光太郎山荘として一般公開されており、隣接する記念館も今年春、リニューアルしてオープンした。
揚げ出し句は、上五に置いた「ふたたびの」に主宰の実感が込められている。戦争に翻弄された光太郎への哀惜や、病む身でありながらここを再訪できた喜びなど、さまざまな思いが去来する。下五の「青葉闇」は夏の季語。陽光がまぶしければまぶしいほど、樹下の暗さが際立つ。あばら家に暮らす光太郎の姿があたかも眼前に浮かんでくるようだ。戦後70年の光と影を感じさせる一句。
<没落てふ二階座敷の梅雨障子>。「智恵子生家」の前書きがある。光太郎の妻・智恵子は明治19年、福島県の酒造家の長女として誕生。日本女子大学校を卒業後、女性芸術家として注目され、29歳のときに光太郎と一緒になる。しかし、実家の破産などもあり、精神を病む。53歳、肺結核で他界。揚句は二本松市の智恵子の生家・記念館を訪れての吟行句。二階座敷は智恵子が育った部屋。じめじめとした梅雨時の障子に何を見たのだろうか。<香を焚き風鈴を吊り旅終る>も味わい深い一句。旅を終えた後の満足感と寂寥感が交錯する。(潔)
舘花集・秋冬集・春夏集抄
ひとりには過ぎたる薔薇の香りかな(加藤弥子)
「重文」の丹の楼門や風薫る(進藤龍子)
いつせいに南部風鈴鳴る駅舎(白崎千恵子)
ふるさとや鎮守の杜のかき氷(根本莫生)
それぞれに星は座をしめ青葉木菟(矢野くにこ)
田水張り明るくなりし峡の村(斎田文子)
青柿の落つる音して闇深む(長谷川きよ子)
少年の家出願望麦の秋(針谷栄子)
ひい・ふう・み・十まで覚えさくらんぼ(田村君枝)
草笛や老の指先爪割れて(山本 潔)
水攻めのごとくに駅や梅雨出水(田 澄夫)
竹の秋伸び根断ち切る女の手(石田政江)
再会のカフェに友待つ薔薇の昼(吉崎陽子)
風あれば葉かげの実梅現はるる(松川和子)
■『花暦』平成10年2月、創刊。主宰・舘岡沙緻。師系・富安風生、岸風三楼。人と自然の内に有季定型・写生第一・個性を詠う。
■舘岡沙緻(たておか・さち) 昭和5年5月10日、東京都江東区住吉町生まれ。42年、「春嶺」入門。45年、第9回春嶺賞受賞。63年、春嶺功労者賞受賞。平成4年、「朝」入会。岡本眸に師事。10年、「花暦」創刊主宰。24年、俳人協会評議員。句集:『柚』『遠き橋』『昭和ながかりし』『自註 舘岡沙緻集』。23年7月、第5句集『夏の雲』(角川書店)。
お問い合わせ先のメールアドレス haiku_hanagoyomi@yahoo.co.jp
智恵子生家
没落てふ二階座敷の梅雨障子
車椅子に病む身を置くや梅雨の蝶
城垣の大小梅雨を寄せつけず
ふたたびの光太郎山荘青葉闇
みちのくの旅の一日の梅雨の晴
涼風や杉の木立の直立す
香を焚き風鈴を吊り旅終る
ままならぬ起居病む身の梅雨湿る
〔Web版特別鑑賞〕今年は戦後70年。新聞をはじめ多くのメディアが特集企画を組んでいることからも分かるように、日本人にとっては一つの節目である。日頃、何気なく俳句作りをしていても、こうした歴史を抜きには語れない作品と出合うことがある。今月の暦日抄にもそんな句がある。
<ふたたびの光太郎山荘青葉闇>。詩人・高村光太郎は太平洋戦争も終わりに近い昭和20年5月、宮沢賢治の弟・清六を頼って岩手県花巻町(現在の花巻市)に疎開した。その家も空襲に遭い、転々とした末に終戦後の同年10月、花巻町郊外に粗末な小屋を建てて独居を始めた。光太郎62歳。戦時中、戦争への協力詩を作ったことへの自省の念からの隠遁生活で、ここでの暮らしは約7年間に及んだ。現在、光太郎山荘として一般公開されており、隣接する記念館も今年春、リニューアルしてオープンした。
揚げ出し句は、上五に置いた「ふたたびの」に主宰の実感が込められている。戦争に翻弄された光太郎への哀惜や、病む身でありながらここを再訪できた喜びなど、さまざまな思いが去来する。下五の「青葉闇」は夏の季語。陽光がまぶしければまぶしいほど、樹下の暗さが際立つ。あばら家に暮らす光太郎の姿があたかも眼前に浮かんでくるようだ。戦後70年の光と影を感じさせる一句。
<没落てふ二階座敷の梅雨障子>。「智恵子生家」の前書きがある。光太郎の妻・智恵子は明治19年、福島県の酒造家の長女として誕生。日本女子大学校を卒業後、女性芸術家として注目され、29歳のときに光太郎と一緒になる。しかし、実家の破産などもあり、精神を病む。53歳、肺結核で他界。揚句は二本松市の智恵子の生家・記念館を訪れての吟行句。二階座敷は智恵子が育った部屋。じめじめとした梅雨時の障子に何を見たのだろうか。<香を焚き風鈴を吊り旅終る>も味わい深い一句。旅を終えた後の満足感と寂寥感が交錯する。(潔)
舘花集・秋冬集・春夏集抄
ひとりには過ぎたる薔薇の香りかな(加藤弥子)
「重文」の丹の楼門や風薫る(進藤龍子)
いつせいに南部風鈴鳴る駅舎(白崎千恵子)
ふるさとや鎮守の杜のかき氷(根本莫生)
それぞれに星は座をしめ青葉木菟(矢野くにこ)
田水張り明るくなりし峡の村(斎田文子)
青柿の落つる音して闇深む(長谷川きよ子)
少年の家出願望麦の秋(針谷栄子)
ひい・ふう・み・十まで覚えさくらんぼ(田村君枝)
草笛や老の指先爪割れて(山本 潔)
水攻めのごとくに駅や梅雨出水(田 澄夫)
竹の秋伸び根断ち切る女の手(石田政江)
再会のカフェに友待つ薔薇の昼(吉崎陽子)
風あれば葉かげの実梅現はるる(松川和子)
■『花暦』平成10年2月、創刊。主宰・舘岡沙緻。師系・富安風生、岸風三楼。人と自然の内に有季定型・写生第一・個性を詠う。
■舘岡沙緻(たておか・さち) 昭和5年5月10日、東京都江東区住吉町生まれ。42年、「春嶺」入門。45年、第9回春嶺賞受賞。63年、春嶺功労者賞受賞。平成4年、「朝」入会。岡本眸に師事。10年、「花暦」創刊主宰。24年、俳人協会評議員。句集:『柚』『遠き橋』『昭和ながかりし』『自註 舘岡沙緻集』。23年7月、第5句集『夏の雲』(角川書店)。
お問い合わせ先のメールアドレス haiku_hanagoyomi@yahoo.co.jp