東陽通信句会
高点2句
広場より迷子のしやぼん玉ひとつ 岡崎由美子
ぶらんこを漕がねば風の音ばかり 飯田 誠子
みちのくに山笑ふ日は何時来るや 中川 照子
魚は氷に上りピエロは公園に 安住 正子
声立てて笑ふ幼児や春立てり 長澤 充子
ヒヤシンス昔のままの喫茶店 岡崎由美子
生き過ぎと思へどうれし梅ひらく 堤 やすこ
消毒の手の甲さする余寒かな 山本 潔
水の春焦土の記憶遠くして 岡戸 林風
物音の増えて薄氷流れ出す 野村えつ子
きらきらと川よこたはる春隣 斎田 文子
春雪は天の恋文ゆらり降れ 松本ゆうき
熊笹に雪解雫の二分音符 新井 洋子
かげろふや家がだんだん遠くなる 飯田 誠子
外来語ふえて建国記念の日 中島 節子
花菜風下校チャイムを運びくる 向田 紀子
(清記順)
【一口鑑賞】「ぶらんこを漕がねば風の音ばかり」誠子さんの句。「ぶらんこ」が春の季語。中国の鞦韆(しゅうせん)が日本に伝わり、「ふらここ」「ふらんど」などとも呼ばれる。ぶらんこを漕ぐ楽しさはいかにも春らしいが、この句のぶらんこはなぜか止まっている。作者はそこに座ってただ春風が吹く音を聴いているのである。そこはかとない愁いさえ感じさせるのは、コロナ禍が背景にあるからかもしれない。「魚は氷に上りピエロは公園に」正子さんの句。「魚氷に上る」は七十二候の一つ。太陽暦で2月14日ごろからの5日間に当たり、水が温み始めると、氷の割れ目から魚が躍りでることを示している。このころになると、人々の動きも活発になる。この句は、大道芸人のピエロが公園にやってきたことを言っているだけなのだが、ただそれだけで心が浮き浮きしてくる。カラフルなピエロの服装やユニークな表情が目に浮かんでくるからだろう。(潔)
若草句会(亀有 ギャラリー・バルコ)
兼題「春一番」
高点1句
料峭やカレー饂飩の染み二滴 針谷 栄子
春一番富山平野を均しゆく 吉﨑 陽子
草萌ゆる磨けば光る泥団子 新井 洋子
子のゐない校庭ひろし鳥雲に 松本ゆうき
亡き友に唱ふ御詠歌春寒し 石田 政江
継当てのさくらのかたち春障子 市原 久義
二人がかりの猫の点眼春一番 針谷 栄子
花すみれ天守へ辿る道しるべ 飯田 誠子
牡丹雪劇の終りのごときかな 安住 正子
春雨やバスにアニメのラッピング 沢渡 梢
少女らの微分積分春一番 山本 潔
白杖の人の手を取る北風の中 新井 紀夫
春一番耳に当てたる虚貝 岡戸 林風
春月や祷りの島の天守堂 坪井 信子
(清記順)
【一口鑑賞】「料峭やカレー饂飩の染み二滴」栄子さんの句。「料峭」は「春寒」の副季語であり、春風が肌に冷たく感じられることを言う。真冬の寒さや、立春後の余寒とは異なり、春になった気分が強調される。そんな時期のカレー饂飩も格別に美味しく、気持ちが明るくなったことだろう。「染み二滴」ぐらいならご愛嬌のうちといったところか。「春一番富山平野を均しゆく」陽子さんの句。春が来て最初に吹く南風が「春一番」。今年、関東地方では2月4日に吹いた。昨年より18日早く、1951年の統計開始以来最も早かった。作者の住む北陸地方はこの冬、大雪に見舞われただけに春が待ち遠しいことだろう。富山平野は富山湾に面した扇状地帯に広がる珍しい地形。掲句は「均しゆく」という措辞で平野を大きくとらえたところが上手い。(潔)
連雀通信句会
兼題「豆」
高点2句
「艸」一年は礎となり草青む 束田 央枝
豆餅を焼けば祖母の手祖母の顔 岡崎由美子
如月や蛇籠にあそぶ水の音 安住 正子
枡で売る谷中の豆腐春近し 進藤 龍子
白梅や俳句支へにわが余生 春川 園子
待春やシャンパンを抜く誕生日 向田 紀子
人の命かくもか弱き樹氷林 横山 靖子
斑野やぽつんぽつんと農具小屋 松成 英子
生きてこそ確かな鼓動初山河 矢野くにこ
チョリソーと煮豆のスープ寒明くる 山本 潔
彼の世でも夫は猫舌小豆粥 坪井 信子
悩みても栓無きことよ葛湯吹く 岡崎由美子
もしかしてコロナももののけ鬼は外 松本ゆうき
常備菜は大豆と鹿尾菜煮て飽きず 束田 央枝
児童館の三和土に転ぶ年の豆 飯田 誠子
薬局へ小雪舞ひをり町夕べ 中島 節子
(清記順)
【一口鑑賞】「『艸』一年は礎となり草青む」央枝さんの句。昨年1月の「艸」創刊から1年が過ぎた。予期せぬコロナ禍により句会開催などに多少影響が出たものの、俳句を楽しむ土台はしっかりできた。そんな気持ちを「草青む」という季語に託して詠んでいる。一人一人の前向きな気持ちが「艸」の力になっていくと思わせてくれる一句。「豆餅を焼けば祖母の手祖母の顔」由美子さんの句。豆餅は全国的に食べられているようだが、地域によって黒豆だったり、赤豌豆だったり、大豆だったりとさまざま。この句は、豆餅を焼きながら、大好きだった祖母のことを懐かしんでいる。「祖母の手」「祖母の顔」との繰り返しが効果的だ。作者自身が祖母の姿になっているような感覚にとらわれているのかもしれない。(潔)
船橋通信句会
高点2句
日脚伸ぶ小さき畑に鍬を入れ 小杉 邦男
冬ざれや研ぎ師の洗ふ水砥石 山本 潔
元気かと声が我へのお年玉 飯塚 とよ
双六や思ひ出の地を飛び越えて 並木 幸子
家飲みの酢牡蠣を卓に宵の口 新井 洋子
ゆめと書くデイサービスの筆始め 市原 久義
初筑波北北東に山並も 小杉 邦男
初空や数多学びの余生あり 川原 美春
凧揚げし昔日遠く晴天日 平野 廸彦
寒菊の曲らぬ高さ久女の忌 針谷 栄子
春近し待合室のヴィヴァルディ 山本 潔
ほこほこと苑の芝生や春隣 岡崎由美子
幾年か「逢おうね」友と初電話 三宅のり子
重ねきし通信句会春隣 岡戸 林風
(清記順)
【一口鑑賞】「日脚伸ぶ小さき畑に鍬を入れ」邦男さんの句。家庭菜園だろうか。冬の間に土を耕すことで草が生えにくく、土壌も肥えてくる。冬至(12月22日頃)を過ぎれば昼間の時間が少しずつ長くなるが、それを実感するようになるのは1月半ばからで太陽の日差しも暖かさが感じられる。この句は、土を鋤き起しながら感じた「日脚伸ぶ」を端的に詠んだ。
「元気かと声が我へのお年玉」とよさんの句。ふと聞こえた声の主は昨年亡くなったご主人だろう。「元気か」とやさしく問いかけられて嬉しかった気持ちを素直に句にした。「双六や思ひ出の地を飛び越えて」幸子さんの句。日本一周か世界一周か、旅の双六を楽しんだ作者。かつて旅した地を飛び越した時には懐かしさがこみ上げてきた。
「初空や数多学びの余生あり」美春さんの句。元旦の晴れ渡った空を眺めての感慨。いろいろ学ぶことが余生の楽しみになっているのだろう。何事にも前向きな作者のことだから、俳句上達も心に誓ったはずだ。「凧揚げし昔日遠く晴天日」廸彦さんの句も正月の空を見ての感慨。晴天に高く揚がる凧を眺めながら、若かりし頃を思い出している。「幾年か『逢おうね』友と初電話」のり子さんの句。友との初電話。「逢おうね」と言いながら幾年が過ぎたのだろうか。(潔)
すみだ通信句会
高点1句
月並の句座も叶はず去年今年 岡戸 林風
人声を攫ひし怒濤冬の海 工藤 綾子
放牧の牛の口にも若菜かな 内藤和香子
笹鳴や菓子パン好きの子規が好き 山本 潔
海むいて並ぶ民宿水仙花 福岡 弘子
足型に足置き並ぶ鯛焼屋 岡崎由美子
坂がかる古き家並や冬すみれ 長澤 充子
退院の友より熟し冬苺 貝塚 光子
面会の叶はぬ夫や春を待つ 髙橋 郁子
読初は百鬼夜行の絵巻なり 松本ゆうき
寒夕焼レンガ造りの倉庫群 岡戸 林風
牛の眼の濡れし眸に芽吹山 大浦 弘子
(清記順)
【一口鑑賞】「月並の句座も叶はず去年今年」林風さんの句。コロナ第3波の影響ですみだ句会も昨年5、6月以来の通信(郵便)句会となった。海外ではワクチン摂取が始まる一方で、変異型ウイルスの感染も拡大しており、情勢は予断を許さない。日本政府の対応は遅れており、コロナ終息の見通しは立っていない。この句は、毎月の句会にも影響が及ぶ日常がまだまだ続くことへの嘆きを冷静に詠んでいる。
「放牧の牛の口にも若菜かな」和香子さんの句。「若菜」は新年の季語。七種粥に入れる若草を指す。それが牛の口についていたとは、今年が丑年であることも踏まえた想像の一句だろうか。もっとも、年が明けたばかりの野原に出て若菜を摘むこともあり、「若菜摘」も新年の季語。牧場での実景であってもおかしくない。「牛の眼の濡れし眸に芽吹山」大浦さんも牛を見て一句。潤んだ眸に映る山に春の芽吹きを見つけた。
「読初は百鬼夜行の絵巻なり」ゆうきさんの句。日本の古い説話などに深夜に群れて徘徊する鬼や妖怪が登場する。暦によって、百鬼に遭遇すると死んでしまうと言われる日があり、貴族などは夜の外出を控えたという。そんな百鬼夜行の描かれた本を年初から読んだのだろう。コロナも言わば百鬼の一つかもしれない。(潔)
東陽通信句会
高点2句
日だまりに収まるほどの鴨の陣 野村えつ子
一声は自負か威嚇か寒鴉 中島 節子
紅ささぬ口許にヒゲ初笑ひ 中川 照子
年酒酌む並の暮らしを諾うて 岡戸 林風
これはならぬあれもならぬと日向ぼこ 堤 やすこ
おはやうも言はずこつんと寒卵 岡崎由美子
三寒の朝なり頬を軽く打ち 中島 節子
城垣の小さき日溜り福寿草 飯田 誠子
大川を渡れば冬がもう一つ 安住 正子
子に還る母のゆびさき福笑 山本 潔
さざれ波寄せて綾なす冬の浜 長澤 充子
高層の灯を消してゆく除夜の鐘 野村えつ子
かけ声に型の決まりし梯子乗 向田 紀子
老ゆる身に子の労りや日向ぼこ 斉田 文子
公園にボンゴのリズム春隣 貝塚 光子
炉話や語るも聞くも眼つぶりて 新井 洋子
いい加減あきて疲るるマスク顔 松本ゆうき
(清記順)
【一口鑑賞】「一声は自負か威嚇か寒鴉」節子さんの句。鴉は一年中、我々の生活圏ぎりぎりのところに居て食べ物を狙っている。寒い朝には2、3羽でゴミ袋をあさる姿を見かけることもあるが、決してつるんでいるわけではない。むしろ真冬の鴉は見るからに孤高の風情が漂う。そんな「寒鴉」が発した声に作者は心を寄せている。「かけ声に型の決まりし梯子乗」紀子さんの句。今年は消防士の出初式も観覧者なしで行われたところが多かった。東京消防庁の出初式はYouTubeで配信されており「梯子乗」の型も紹介されている。しかし、生で見る時のようなハラハラ感は乏しい。この句は勇敢な梯子乗の姿を端的に伝えている。
「老ゆる身に子の労りや日向ぼこ」文子さんの句。息子、娘さんたちとは同居しているのだろうか、あるいは近くに住んでいるのか。日向ぼこをしながら日々の暮らしを振り返ると、さりげないところで労られている自分に気づく。冬の太陽のぬくもりのなかで家族の顔を思い浮かべるひととき。「炉話や語るも聞くも眼つぶりて」洋子さんの句。いまや囲炉裏のあるところは限られているから、旅先で炉話を聞いたときの思い出だろうか。あるいは、一家団欒の中で誰かが昔話を始めた場面ととらえてもいい。目をつむることで語る方も聞く方も話に集中している。現代では失われつつある炉話の景が浮かぶ一句。(潔)